会社も作ってから10年以上になったことだしってことで、記念にみんなで海外旅行にでも行こうじゃないか、ということになりました。といっても社員全員で行くほどの金もなし、暇も無しということで1991年の創立メンバーで行く事になったのです。そのメンバーとは親方副社長よろけ牛ボルちゃんじゃうしん、そして編集長 6人です。 さて問題はどこに行くか?なるべく苦労の多い旅にしようということにはなったものの、なかなか行き先が思いつきません。そこで編集長がなにげなく「ダーツで決めますか?」と冗談半分で言ったところ 、親方が社長室から地球儀を持ち出しました。地球儀をぐるぐる回して「えいっ!」と指さしたところ。。。そこには「グアテマラ」と書いてありました。さすがに「そりゃ無理なんじゃないの?」とも思ったものの、調べてみるとグアテマラというのはマヤの遺跡も多く点在しており観光客も多く、日本人にも人気だというじゃあありませんか?しかも旅行をするなら乾季である今(2月〜3月)は絶好のシーズンだというのです。「これはもうここに行くしかない!」かくしてダーツの旅(実際にはダーツではなかったのですが)「グアテマラに行ってらっしゃい!」と相成ったのです。

グアテマラとはいったいどこにある国でしょう?中米はメキシコの南どなり。地図でいうとメキシコの下になります。公用語はスペイン語。日本語はもちろんですが、英語もほとんど通じません。通貨はケツァール。1ケツァールがだいたい13円くらい。貧しい国ではありつつも観光客にとっては中米の中では比較的治安はましな方のようです。というのも観光による収入が大きいらしく国をあげて「観光客は大事にせよ」という政策がとられているようです。まあ、あくまで中米の中ではましというレベルですが。日本からの直行便は無く、メキシコを経由して行く事になります。そこで前後にメキシコ観光もからめて最後はL.Aで楽器の買い付けもしてくるか、ってなもんでロスアンジェルス、メキシコシティー経由で行くことにしました。 期間は2月の28日から3月9日の11日間。場所が場所だけにかなりの強行軍です。あとで思えばほとんど毎日移動日だったような。。。

28日に成田空港に集合。最初の両替。円からUSドルへ。編集長はあらかじめ都内の銀行で両替していたので電気屋でお買い物。今回は旅先からボンゾ通信にレポートをアップせよ、という指令があったのでモデムチェッカーを購入。親方とボルちゃんは空気座布団(って言うのかな?)を購入。長時間の飛行機用だったようだが、これが後に大活躍することになる。ロスアンジェルス行きの大韓航空で成田を出発。機内食が最悪です。今まで大韓航空って機内食には悪い印象は無かったんだけど、今回はひどかったな〜。ラッセル・クロウの「マスター・アンド・コマンダー」とJimmy Pageもおすすめの(笑)「School of Rock」だったんだけど、我々の席はちょうどモニターの真下。前のヤツを見ようとするとちょっと遠くて字幕とかよく見えないし、真上のモニターを見てると首が痛いという最悪の状況。国際線の機内の映画って楽しみのひとつなんだけどまいった。しかしのちのメキシコでのバスの車内でやっていた映画にはさらにひどい目にあうことになるのです。

ロスアンジェルスには28日の早朝に着きました。トランジットでちょっと時間があったのですが朝が早過ぎてカフェとかもやってない。しょうがないのでLAXのシンボルである「あれ」の下で日なたぼっこ(笑)といっても風があって肌寒いのでターミナルの中に移動。中のカフェはやっていたのでお茶をしようとなったのですが、じゃうしんは早くも食いまくり(笑)そして出しまくり(笑)朝からよく食うよなあ。
ここで編集長はちょいとパソコンを開いてみたらAirMacがビンビンに反応してる!お〜さすがLAXと思ったものの、有料だったので断念。なんだよけちくせえな〜。東京なんかJRの主要駅ではタダで無線LAN繋ぎ放題なのにな〜。(だから俺ODNにしたんだよね)

ここからユナイテッドでメキシコシティーに移動。2回目の両替。USドルからメキシコペソへ。早くも3カ国の通貨(円、ドル、ペソ)に混乱するボルちゃん。メキシコは流しはもちろん客待ちしているタクシーもぼられる可能性が高いそうなので前払いのチケット制のタクシーに乗り、今夜の宿「マルコ・ポーロ・ホテル」へ。でもタクシーカウンターがいっぱいある空港と違って、町中のホテルからはいったいどうやってチケットタクシーに乗ればいいのか解らず翌日空港までタクシーで行きたいんだけど、とホテルで聞いてみたら「解った、まかせろ!」と手配してくれた。あとで出かけるときにタクシーの運ちゃんがビールをぐびぐび呑みながら「俺が明日の朝空港まで乗せてっからよ〜。まかせとけって。」て感じで話しかけてきた。ちょっと不安。こうして初日は移動しただけ。レストランでメキシコ料理に舌鼓を打ちつつ終了したのでした。マルコ・ポーロ・ホテルはそれほど高いわけでは無いものの、この旅行で我々が泊まった宿の中では間違いなく最高級でした。冷暖完備、シャワーはお湯が出るし水圧も申し分なし。部屋も広くフィットネスマシンまである。おまけにLANが来ててネットもし放題。朝飯もついてたしな。この日までは普通の旅行でした(笑)

29日は朝一でMEXへ。タクシーはやっぱプチぼられでした。この日はまず国内線でビジャエルモサという所まで移動。そこからパレンケという町までバス移動。空港からバスターミナルまでタクシーで行こうとするものの上手く通じず、あやうくパレンケまで乗せられそうになり法外な料金を要求されたり、はやくもスペイン語地獄にはまりかける。なんとかターミナルでバスに乗りパレンケへ。ここからは毎日毎日バス地獄です。といってもこの日のバスはまだ立派でしたが。ただ車内で映画を流してて、しかも「マトリックス」立派なバスとはいえ道が悪いですし、こっちはスピードを押さえるために「トペ」という段差が道の至るところにあったりしてとにかく揺れるんです。そこにもってきてマトリックスですから、すっかり全員気持ち悪くなってしまいました。

ジャングルの中の町パレンケに着いて、とりあえず宿を確保。さらに翌日は国境を越えてグアテマラに入る予定なのでその長距離バスの予約をしました。その後この日は近くのパレンケ遺跡を見学する事に。遺跡ツアーのミニバス乗り場がなかなか解らず迷いましたが意外にもよろけ牛が「あのバスに遺跡行きって書いてあるぞ。」と発見。「えっスペイン語解るの?」と驚く一同。大韓航空機内でさりげなくスペイン語の日常会話集を読んでこれはというものだけ押さえておいたようです。さすが!
さっそく遺跡へGO !ミニバスと言っても、ようはハイエースのようなバンに何人かで相乗りというもの。しかも道中で地元のインディオ達を乗っけたりする。観光用でありながら地元民の足でもあるようです。しかも定員とかはあまり考えないようで、乗れるだけ乗せるってのが普通みたい。これはこのあとグアテマラに入るとさらに顕著になっていきます。こうしてこの日はマヤの遺跡を堪能。夕方には町に戻りちょっとプチ食いしとこうと軽く飯を食ってから何軒かお店をひやかす。遺跡見物の観光客相手の町だけに土産物屋が多数立ち並んでいました。値切り好きの副社長は、早速お子さんのお土産を購入していました。その後いったん宿に戻ったはいいものの時差ボケと中途半端なプチ食いが原因で結局終了(笑)夜も更けてからじゃうしんだけは「肉が食いたい!」と副社長を誘ってケバブを食いに行ったようですが。やっぱよく食う人だ。

翌日から3月です。1日はいよいよグアテマラ入りです。この日の移動が今回もっとも過酷だと思われていました。早朝6時にパレンケを出発です。まずはミニバスで国境の川を目指しますが例によって途中から地元民をどんどん乗っけて定員オーバー状態。ようやく川辺の村に着いたと思ったら、ここで船で川を下るのにミニバスの運ちゃんがお金を持って行っちゃったので乗せられないとか言われる。「え〜!」なんて思ってたら一緒に便乗してたイタリア人のおじさんがいろいろ交渉してくれて「心配するな。」とか言ってくれた。大人だねえ。ちょっと待たされたけど無事にバゲージとパスポートのチェックを受けて船に乗り換える。イタリア人のおっちゃんはビデオカメラで船からの景色を盛んに撮影していたが、ボルちゃんのDVカメラを見て「ちっちぇえ〜!」と驚いていた。おっちゃん、ボルちゃんのはちょっと前のモデルだから今のはもっとちっちゃいんだよ。

川を渡ったら今度は少し大きめのバスに乗り換えてイミグレーションへ。グアテマラに入ったら運ちゃんの運転はさらに荒くなってきました(笑)バスは一路湖畔の町フローレスを目指します。途中で銀行に寄り、車掌いわく「ここで両替をしてくれ」と。グアテマラではホテルとかではあまり両替が出来ないのです。しかしいっぺんにたくさんの人が次々と使ったためかATMが途中で故障してしまいました。ここでついにイタリア人のおっちゃんが猛然と切れてしまいました。車掌の兄ちゃんと怒鳴りあったあげく「もう俺はここで降りる!」と言って荷物を持って行っちゃいました。河辺の村では「大人だねえ」と思ってたけど、我慢してたのね。
フローレスの旅行会社に着いたところで翌日のティカル遺跡ツアーのバスを予約。宿もここで手配してもらったのですが、いざホテルへ行こうとしたらあろうことかバスがエンスト。全然かかる気配がありません。冗談まじりに副社長が「みんなで押すか〜?」なんて言ってたらマジで運ちゃんが「押してくれ〜」だって(笑)みんなで押しがけしてなんとかなりました(笑)